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地方自治制度の歴史

地方自治制度の歴史
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書籍 地方自治制度の歴史

明治の激論―官治か自治か

著者竹下 譲
肩書き自治体議会政策学会会長
発行日2018年8月21日
定価3850
本体価格3500
サイズA5判
ページ数402
ISBN978-4-87299-795-8

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目次

まえがき
第1章 明治政府の出現
1.王政復古のクーデター
2.京都政府と幕府の戦争
3.村々の自主的な行動!
4.中央集権国家の出現!
5.各藩の借金の後始末は?
6.“自治体”としての「村」を解体?

第2章 文明開化
1.伊藤博文の“日の丸演説”
2.国際法の秩序 ―対等の関係か?植民地化か?
3.明治政府の外交政策

第3章 明治初期の府県
1.廃藩置県後の府県の設置
2.地方官(職員)の格付けは?
3.府県の権限は?
4.裁判権の分離
5.佐賀の乱
6.地方裁判所が地方官を保護!

第4章 大区・小区と区長・戸長
1.村の自治=「寄合」
2.「支配される村」の機能
3.“区”の設置と戸長の配置 ―戸籍法の施行―
4.戸籍法の「戸長」の廃止と大区・小区の設置 ―大区は大区長・小区は戸長、村は用掛け!―
5.区長・戸長の立場は?

第5章 「公選民会」の設置は「町村会」から?
1.明治維新の三傑
2.地方官会議(第1回)の発足
3.木戸孝允と大久保利通の“自治”の発足

第6章 町村“自治”と「府県会」の設置
1.大久保利通の提言 ―町村の“自治”の区画―
2.町村の“自治”構想の消滅? ―郡区町村編成法の審議―
3.府県会の設置
4.町村の実態は?

第7章 政党(自由党、改進党)の誕生と地方政治
1.明治10年前後の政治状況
2.大隈重信の積極財政
3.明治14年の政変
4.松方正義のデフレ政策
5.政党(自由党・改進党・帝政党)の出現
6.府県と政党 ―官憲の弾圧か?政党の腐敗か?―
7.政府(内務省)の姿勢は? ―山縣有朋の民権運動への対応―

第8章 地方制度の確立 ―市制・町村制、府県制の制定―
1.「町村法案」の制定と不採択
2.地方制度編纂委員の設置
3.「地方制度編纂委員」はモッセ草案の翻訳委員会?
4.元老院での“論議”
5.モッセが考える「地方自治」とは?
6.「市町村制」のもとでの市町村
7.「市町村制」の施行と東京・京都・大阪3市の特例
8.府県制・郡制の制定

第9章 地方制度の実施と改正
1.帝国憲法後の国政・地方政治の動き
2.府県と市町村の政治状況
3.府県制の改正;明治32年
4.市制・町村制の改正
5.普通選挙の実施と地方制度の改正
6.補足;戦後の地方制度の改正

内容紹介

日本の地方自治制度はこうして創られた。明治の元勲や民権運動の壮士は何を争点に激論を交わしたのか。地方自治制度の理想を掲げた木戸孝允や大久保利通らの考えとは。自治分権か中央集権か。自治ということについて官派と民派は何を議論し、何を争点に闘ったのか。
日本の自治制度の成り立ちから今日まで、丹念に議事録や種々の記録を読み込み著した渾身の一冊。地方自治制度を語る際に必読の書。

書評

掲載日:2018/11/07

掲載紙:毎日新聞 17面 BOOK WATCHING

内容:

著者は自治体議会政策学会の会長。日本の地方制度がどのように整備されてきたのか、議員たちに「基礎となる歴史上の知識を身につけるために」読んで欲しいとする書だが、平易な文章で読みやすく、日本近代史に関心があるなら誰でもページを繰りたくなる内容だ。幕藩体制から明治政府に“お上り”が変わり、村の民はどうなったか。
木戸孝允と大久保利通が地方自治を重視していた――などは興味深い。


掲載日:2018/11/15

掲載誌:地方自治職員研修 2018.11 (通巻716号)

内容:
地方自治制度はどのように創られたのか

本来、自治は、住民代表である議会が政策を決める。しかし自治体議会は住民に向き合うよりも行政の追認機関となっており、その自治体行政も予算を国に縛られ、国の指示を甘受している。自治というよりも官治ともいうべき事態である。日本の地方自治制度はどのようにして創られたのか。著者は、明治維新以降、今日までの制度の歴史を、議事録や種々の記録を丹念に読み込み、紐解いていく。明治初期の府県、大区、小区と区長・戸長、町村“自治”と「府県会」の設置、地方制度の確立―市政・町村制、府県制の制定など9章構成。


掲載日:2017/10/01
掲載紙:市政 Vol.67(通巻795号)2018.08 p.48

内容:
最近、文部科学省が全国の教育委員会などに対し、ランドセルが重くなりすぎないよう「必要に応じて適切な配慮」をするよう求める通知を出したと聞いて、笑ってしまった。地方分権の時代にこんなことまで国が口出しするとは・・・。宿題で使わない教科書を学校に置いたまま帰るのを「置き勉」と称するのだという。他人の迷惑にならない限り、「置き勉」にするかどうかは本人の自由ではないか。文科省の通知をもらわないと自主的に判断できないほど統制が徹底しているとしたら、恐ろしいことだ。今年は明治150年の節目の年だが、150年の間に自治の精神は多少とも磨かれたのかどうか、疑わしくなる。

町村の独立は破るを得ず

明治150年を振り返るのに格好の著書が刊行された。自治体議会政策学会会長を務める竹下譲氏の『地方自治制度の歴史』(イマジン出版)である。「明治の激論―官治か自治か」という副題が付いている。地方自治制度を定めるに当たり、どのような議論があったかを丹念に追った労作である。
まず注目されるのは木戸孝允や大久保利通の自治論である。地方自治の重要性を早くから指摘したのは木戸で、町村自治の発達の上に立憲制度を築かなければならないと考えていた。木戸に共鳴した大久保は、内務卿として明治11年に太政大臣三条実美に「地方之体制等改正之儀」という上申書を提出した。そこでは、地方の区画は固有の慣習によるべきであり、町村は純然たる「住民社会独立の区画」としなければならないとされている。「行政区画」と「住民社会独立の区画」の2種類の性質を持つ府県や郡とは違うというのである。
これを法制化したのが郡区町村編成法である。大久保の命を受けて、全国の知事県令を集めた地方官会議や元老院で法案の趣旨を説明した内務省大書記官の松田道之は、「町村は実に一の形体をなし、(中略)亦財産を共有し、一個人の権利を備うるものの如し」「町村の独立は(中略)自然的に存在するが故に、仮令(たとい)その独立を認むるを嫌うとも、その独立を破るを得ざるものなり」と説いた。法案第6条は「毎町村に總代として戸長一人を置く」となっていたが、松田はその選任方法について「人民の總代なれば固より官選に非ず。その選挙法は町村に任せて、政府はこれに干渉せず」と説明した。
これに対し、地方官からは、町村を純然たる自治体にすることに異論が相次いだ。「町村も行政区とすべき」「戸長を行政官吏とすべき」「總代としての文字を削るべき」といった意見だったが、松田は譲らず。最後は賛成23人、反対10人で同法案は原案のままで可決された。

覆された大久保構想

ところが、当時の立法機関であった元老院で原文は覆された。明治11年5月14日に郡区町村編成法案の審議に入ったが、松田の説明に対し、大した議論はなく、法案の趣旨も認められた。しかし、2日後の5月16日になると状況はがらりと変わった。14日に大久保が暗殺されたことが影響したとみられている。松田は、「町村は各自独立の者なれば、其の費用は各自支弁すべし」と説明していたが、議官の陸奥宗光は、町村は一個人と同視することはできないとして、戸長にも官給を附与すべきだと主張した。佐野常民も、「町村は一個人と異なり、(中略)一郡一県と何ぞ異ならんや」と批判した。14日に法案の趣旨を認めたはずなのに、批判が続出したため、結局、元老院として修正案をまとめることになった。修正案では、「毎町村に總代として戸長一人を置く」が「毎町村に戸長一員を置く」に修正された。戸長の給料は地方税から支弁することになった。竹下氏は、町村は実質的に府県の下部機関、つまり「行政区」とされたと解説する。明治17年には、「戸長は県令(府知事)これを選任す」と官選になり、ますます大久保の構想から遠のいた。
江戸時代の村は、年貢の納め労役を果たしている限り藩から取り立てて干渉を受けず、寄合で内部の物事を決めていた。木戸や大久保はこれを基に町村自治を構想していたとみられるが、竹下氏によると、その構想は意外と2011年に英国で制定された「ローカリズム(地方主義)法」に近い。英国政府による同法の解説では、「この法律の精神は、地方自治体が、ひとりの住民と同じように、自分の意志で何でもできるようにするという点にある」としている。松田の町村の説明とよく似ている。

なお残る国の末端区画意識

官治か自治か、行政区画か自治体かという論争はその後も繰り返された。戦後の地方自治法制定までの市町村制度を規定したのは明治21年制定の市町村制だが、これはドイツから招いた法律顧問のモッセの草案を基にしたものだった。その第2条には「市町村公共の事務は官の監督を受けて自らこれを処理するものとす」とある。モッセが考える自治とは、「国が定めた内容を執行する権限の一部、言い換えれば、行政権の一部を自治体に与える」ものにすぎなかった。
元老院の審議では、フランスなどで外交官勤務の経験がある井田譲議官がモッセ案にかみついた。井田は、この案では町村長の職務は国の出先機関の職務であり、町村長は「自治機関の司」ではなく、「純然たる官吏」であると見抜き、「表に自治を与えて、其の実、与えざるに同じ」と論じた。しかし、井田の指摘は議論にならないままに、法案は元老院を通過した。市町村は自治であるよりも、国の事務を執行する末端機関の色彩が強まった。以来、国からの指示待ち意識は根強く残り、未だに国にランドセルの世話まで焼かせるほどである。

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